2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

曹洞宗「修証義 第五章 行持報恩」

第二十六節人間としてこの世界に生まれたのなら、折にふれて「ブッダならどうするだろうか」と思惟し、自分もまた人々を救う菩薩として生きていこうという志しを立てることが肝要である。私たちは人間世界に人間として生まれ、苦楽相半ばする人生を送ってい…

曹洞宗「修証義 第四章 発願利生」

第十八節仏の道を歩いていこうとすることは、自分の幸せよりも周囲の人の幸せを考える生き方を志すということでもある。在家の人であろうと、出家して僧侶となった者であろうと、どのような境遇にあっても、自分の幸せよりも人の幸せを願うような心をおこし…

曹洞宗「修証義 第三章 受戒入位」

第十一節仏の道を歩む者は「真実を悟った者」「真実についての教え」「真実に沿って生きる人々」の3つの宝を尊重しなさい。生まれ変わり死に変わってもこの三宝(さんぼう)を尊重し続けるような強い志しを持っていなさい。インドから中国へ、中国から日本…

曹洞宗「修証義 第二章 懺悔滅罪」

第七節ブッダをはじめとする歴代の祖師方は、慈悲の心から救いの門を開き続けてこられた。それは、この世界に生きるすべての人々を安らかな心へ導くための教えの門であった。どのような人であっても、志しを持ったならば、誰もがこの教えの門の内に入ってい…

曹洞宗 「修証儀 第一章 總序」

第一節生とは何かを明らかにし、死とは何かを明らかにすることは、仏教徒として最大の課題である。生死の中に仏のさとりがあれば、生死は無くなる。ただ、生死がつまりは涅槃だと心得、生死だからといって嫌うべきではなく、涅槃だからといって願うべきでも…